『サラの鍵』

鑑賞しました。そして、心に深く刻まれる作品となりました。

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フランス映画『サラの鍵』

1942年夏、ユダヤ人の少女・サラの身に起きたあまりにも痛ましい出来事を、
現在と過去とを行き来しつつ描いた作品。

父と母・・・
想像し難いほど過酷な運命が幼いサラの小さな心にのしかかる。
しかし、手を下したのはヒトラー率いるナチスではない。
直接手を下したのは、当時のフランス政府なのだ。
そして、弟・・・

サラが深い絶望の淵でもがき苦しむ間、
我々観客の心もまた激しく痛み、とことん絶望を味わう。

とっても過酷なのだ。そして悲しいのだ。
わかっている。だってそれは戦争の最中の出来事なのだから。
かつての日本だってそうだったし、世界のどこの国でもそうだったに違いない。
悲しくって当たり前。
それは重々承知している。わかってはいるが、やっぱり、とてつもなく悲しい。
それでいて、ふしぎなことに、
悲劇の波間に漂ううち、ワタシの心はすっきりと洗われてゆく。
悲しい、だけではないのだ。
残酷でありながらも、なにか清々しい。
気がつけば、この物語の内々に己自身の存在を感じ取っているような錯覚に落ち入り、
次第に、あたたかい、澄み切ったような気持ちに変化してゆくのがわかった。

破滅的なサラの運命を描いたこの悲しい映画は、間違いなく良い映画なのだ。
だから、悲しいけれど、同時に、とても嬉しい。

悲しいのに、嬉しい。

それは・・・ワタシがだいすきだからなのかもしれません。
フランスのことが。

映画の中で描かれている狂ったような出来事は、かつて、かの国で現実に起きたことであり、
それをこの映画を通じて当時のフランスの人々の痛みをほんの少しでも共有できたことの喜び。
それは一種の、安堵感みたいなものかもしれません。

命はいつか果てる。
でも命の ”ある部分” は何かのかたちに姿を変えてこの世に残る。
そうして命は何か ”別のかたち” として生き続け、決して消えることはない。

あなたは、この作品に何を見い出し、何を思うでしょうか・・・
ぜひご覧下さいまし。

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プロフィール

喜多村 武

Author:喜多村 武
 映像Director、絵本作り、
 イラスト作画、アニメ制作、
 鉄道模型の設計などしている
 ”アトリエざんまい” な日々。
 最近は大学にて講義をさせて
 いただいたりも…。

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