回顧…1977。

進行中の引越し後の荷解きの最中に、

何年もほったらかしだったポスター収納ケースの中身を確認してみたところ、
ポスターケース


いろんなポスターが出てきた…


まずは、
↓大林宣彦監督の商業映画デビュー作『ハウス/HOUSE』。
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ビデオが普及する以前、名画座に足しげく通い、しつこく繰り返し何度も観た映画です。
オプチカル合成技術の見本市みたいな作品で、Godiegoの音楽も印象的。
カラーフィルターを多用して表現された豊かな色彩が、当時の邦画界では斬新でしたね。
そしてなんといってもCMディレクターだった大林監督の本編演出!にびっくり仰天、
後にロジェ・バディム監督の『血とバラ』を鑑賞してようやく納得(笑)。


それから、
↓我が国にスターウォーズ旋風が吹き荒れる直前に製作された映画『惑星大戦争』。
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当時よく見かけたイラスト版の方ではなく、ミニチュアモデルを使用したデザインの方。
沖雅也さんと宮内洋さんがご共演、お!芹沢博士とキリヤマ隊長も、でありました。
賛否両論あれどマイティジャックも成し得なかった巨艦同士の空中戦は見ものでしたね。


↓こっちは同作に登場した轟天号の内部図解ポスター。
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たしか公開初日、渋谷宝塚でもらったもの(オレンジ色の宇宙飛行士が配ってましたね)。
あ、東宝レコードから出たサントラ盤LPにもおまけで付いてきたっけ(4つ折で…)。


これらのポスターはとっくに手放してウチには無いものと思い込んでいただけに…
嬉しい再会、でありました。


ついでに、
↓市川崑監督の金田一ものにおける最高傑作と誉れの高い『悪魔の手毬唄』。
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別所千恵子 (本作では別所千恵に変更) を演じられた仁科明子さんがチャーミングでしたが、
テレビ版(『横溝正史シリーズ』)では夏目雅子さんだったんですよね…おなつかしや…


実は、これらはどれも1977年に公開された映画で、当時私は中学1年生でございました。
この前年にはまぁいろいろとあったものですからして、
私にとって77年は一つの分岐点となった年…なのでありましょう、たぶん。

え…?。なに…?。あれからもう36年も経つのか…(笑)。


その他、
↓あんなのや…
Drno.jpg
(イオンプロ製作による007シリーズの第1作『Dr.No』)


↓こんなのや…
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(なんだっけか…鬼太郎のなんかのポスター…)


↓ひろ子ちゃん、かわいいね。
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(映画『ねらわれた学園』前売券購入時のおまけじゃなかったかな…)


↓靖子ちゃん、かわいいね。
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(ケンウッド ROXY の広告ポスター、すんごく大きいよ)

えーと、キリがないので、このへんで。

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スカイツリーに圧倒されつつ友に誓う。

春分の日の前日の夕刻、都内某所にてもうひとつのアニメみたいな映像の試写が終わり、
今日も徹夜明けだし、寄り道しないで真っ直ぐ帰ろかな…などと思いつつ、
券売機でキップを買い、日比谷線某駅のホームをぷらぷらしていたところ…

不意に、ちっともスマートじゃない我が方の携帯電話に、一通の MAIL が届けられた。

『今、押上』

短い文章に、一瞬、なんだっけ?…何かの間違いか?…等と訝しく思ったものの、
すぐさま事態を察した私は、右手指で馴染み深いフォンナンバーをピポパと押して、
「ちょうど試写が終わったところ。いまからいくよ!」と言葉で伝えた。

まぁちょっと、その日に至るまでのここ数日のやりとりについてはばっさり省くとして…

急遽地下鉄を乗り継ぎ、押上へ。

で、初めて間近に接する夜の東京スカイツリーの大きさ&美しさに仰天しながら、、、
SKY02R.jpg SKY04R.jpg
高等学校時代の友たち、Fくん、さざ波くんと久しぶりに再会したのでありました。


私らが通った高校は、ちょっと変わっておりまして・・・
理系・文系の他に美術科・音楽科・演劇科といった芸術系がありました(今はもうない)。
私は美術科の絵画コースで油絵を学び、Fくんはデザインコースで工業デザインを学び、
さざ波くんは私と同じ絵画コース、この日入れ違いで会えなかった I くんも絵画コースで、
共に学校内のアトリエで制作に励んだ友なのであります。
そして…デザインと絵画の両方で学んだ Tくんは、たまたま仕事の都合で来られず、
彫刻コースで学んだ Sくんはといえば、いま箱根にいて夢に向かってまっしぐらの最中で、
やはりこの場にはいられず、といったわけで、この日私が会えたのは二人だけ。


えぇと、3年振りくらいかな?会うのは。
それとも…何年振り?…ちょっと記憶が定かではないけれども、
みんな変わらず、みんな元気で、みんな熱い心のままに頑張っているわけで。


ツモル話に花咲かす楽しい席でありながら、やはりね、あのことも話題にせねばならず、
それは、そう、Dくんが昨年亡くなったらしい、という話題であります、つまるところ。


アトリエの絵画室にて、一緒に切磋琢磨した Dくん。
詳しい状況はいまだわからず、そもそも Dくんの訃報を知っていた友は他にいないようで、
なにしろ卒業してかれこれ30年は経つし、なかには消息不明の学友もいたりいなかったり、
そんな感じなものだから、 Dくんについても近況を知る者は皆無であったかもしれず。。。
とはいえ、、、そんな大事な事を誰も知らなかったなんて、、、
ごめんね Dくん、と謝りたい気持ちでいっぱい。
が、しかし、ま、いつの間にかそんな年頃に我々も差しかかってしまったようなのだから、
なんか、仕方がないって気もしてきてしまうけど、、、


ちょっとさ、近いうちにさ、さざ波くんの店でさ、偲ぶ会でも開こうじゃないの。


いまこの瞬間、、、
日本のどこかで(おっと、イタリアで頑張ってる友もいた…故に世界のどこかで、だ)、
それぞれの道を歩み、あの日抱いた夢や希望を胸に、日々励んでいるであろう学友たち。


我々はさ、あの高校のアトリエで芸術家になる為の勉強をしていたように思っていたけど、
ここ数年はさ、『おまえらは今後生涯を通して "芸術的に" 生きて良いのだよ』と…
そんな、我々だけの特別なお墨付きをいただくための3年間ではなかったか、と…
私はそんな風に考えるようになったわけなのだ。
(この”芸術的に”を”自由に”に変えてもらっても良いし、好きに解釈していただければ幸い)
だから、そんな風に生きていないとばちが当たるかもしれない…なんて思ったりもして。
それで、私は、そんな風に生きるべしと、頑に己に言い聞かせてここまで生きてきた…
…そうなのかもしれない…と、そんな風に思っているわけなのだ。


ふと見ると、
私の前を歩く Fくんとさざ波くんの後ろ姿が映画のワンシーンのようにカッコよく思えて…

咄嗟に、ぜんぜんスマートじゃない我が方の携帯電話のシャッターを切りつつ、、、
SKY06R.jpg
ボクたち、元気だよ…明日もがんばるよ…と、Dくんに誓った、
そんな3月19日の夜でありました。

合掌。。。

腕時計のこと。

若い頃は、、、

↓こじゃれたデザインのこんな腕時計がすきだったんですが…
腕時計R

最近は日本製の自動巻きばかり使っています。

↓まずはセイコーファイブ。
SEIKO01R.jpg
たしか高校生だった頃、当時ワタシたち家族がお世話になっていた方からいただいたものです。
30年くらいの間、ワタシと苦楽を共にしてきた相棒みたいな存在。

今やベルトは若干伸び、ガラスは傷つき、ステンレス製の本体もくたびれてきているものの、
SEIKO02R.jpg
我が心の臓の鼓動が如く、今もしっかりと時を刻み続けております。

↓それからセイコーダイバー。
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特撮映像の仕事に関わりはじめた大学2年の頃、1歳年上の先輩から中古のセイコーダイバーを貰ったんですが(その時貰ったのは1980年代の150mファーストモデルで、使い込むうちに金属表面が腐蝕しシャツの袖口を傷つけるようになったので泣く泣く使用を諦めたのでした)、、、

コレはそれとほぼ同じデザイン、というか復刻版といってもいいみたい。
SEIKO04R.jpg
針の形状等ファーストモデルと同じですが、リューズはねじ込み式で、200m防水仕様。
黒いラバーベルトではないものの、オールステンレス製なので安心して使えるブラックボーイ。

仕事柄、汗まみれ泥まみれになりがち。安い腕時計では傷み易いし、時には壊れることも。
その点、国産の高品質な腕時計は、何年経っても使い続けられるからありがたい。

安価な製品に飛びつくのもよいけれど、果たして20年も30年も使い続けられるものかどうか。
一方で高度な技術により作られた日本のすばらしい製品を身につけていられることの幸せ。
最近は、そんなありがたみを日々実感しているところです。

『がんばれ日本』っていうけど、それなら日本製品を買わなくちゃ、そして使わなくちゃ。
ですよね。でしょ?。

とかエラソーに言いつつ、クルマはおフランス製なんざんすけども。
AXのリアホイール
しかもだいぶ古いの。おほほ。

2011年のイヴ。

おそらく小学校に上がる前の昭和45年、
6歳の時にもらったプレゼントだと思うんですけれどもね。

↓マイクロスコープ、顕微鏡であります。
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今も壊れることなく機能して、小さなものを大きく見せてくれます。

↓そのとき一緒にもらった標本も大切に保管しており…
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…中身はちゃんとぜんぶ揃っておりますのよん。
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他に、ワタシがもらったクリスマスのプレゼントとして記憶しているのは、、、
日本周遊や世界一周などのボードゲーム、昆虫のプラスティックモデル、ポケットカメラ、
レゴブロック、児童文学などの書籍がたびたび…と、今はそれくらいしか思い出せませんが。
(誕生日のプレゼントと混同しているものもあるかも…今となってはワカリマセヌ故…)

周りの子たちはカイジュウやミニカーやサイボーグ人形などもらって大喜びしていた時代。
そうゆうのが欲しいなぁと内心思ったりもしたものの、大人になってからアリガタミを実感。
遊びながら考えて行動し、何かを発見できるように、とのお導きだったのでありましょう。

サンタさん、ありがとう。
あまり賢いヒトはなれなかったけれど、、、
047.jpg
おかげでこんな大人になりました。

明日は…クリスマスでございます。



47歳の春だから。

いやはや、大急ぎのアニメのお仕事できりきりまいの毎日を送っております。
2カット完成、あと1カット。今日中に終わるか否か。ヒーハー。

↓そんな私の最近の状況を絵にするとこんな感じか。
かお6歳
(6歳の頃…幼稚園で描いた絵デシタ…オハズカシイ…)


さて、1週間ほど前のこと。
私事ですが、今年も無事に誕生日を迎えまして、47歳になりました。

実は、お釈迦さまがお生まれになった日と同じなんです。
まぁなんたること。恐れ多くて。申し訳ございません。


そんな私が幼稚園の年少組に通っていた頃のエピソードです。
園内で遊んでいた時、乱暴な年長組の子から頬を叩かれたそうです、ぽかり!と。
すると私ったら「こっちの頬も叩けばいい」というようなことを言いながら、
もう片方の頬を相手に差し出したとか。
幼少時のエピソードとして、今は亡き母からさんざん聞かされた話でして…

ばっかじゃない?
いえいえ、なにしろ通っていたのがカトリックの幼稚園でしたから…
ん?お釈迦さまとカトリック?なんだかわけがわかりませぬが…


それはともかくとして、人生早47年。
山あり谷あり、時には落とし穴に落っこちてドイヒーな目に合ったりもしましたが、
それでも、ここまでのところ我が人生おしなべて幸福で満ち足りたものでありました。
ですが、まだまだ道半ば。
もっと前へ。
これからも元気にまいる所存です。

青山墓地の桜

ぴっぽ、ぴっぽ、鳩時計

今回の引越しで、荷作り中に発掘したものの一つ。

↓鳩時計。
鳩時計

小学校3年生の頃 (1973年?) でしょうか。
今は亡き父が、仕事の成績がよろしいと会社から表彰されて、ご褒美に世界旅行へ出かけた際のおみやげだったと記憶しております。イタリア、ソ連(ロシアのことね)など数カ国を周り、いろいろ珍しいみやげものを抱えて帰ってきた父。その日以来ずっと我が家の応接間にて時を刻み続けてくれたもので、それを母が、振り子やおもりを別々に包んで大切に保管してくれていたのでした。

この鳩時計、ピアノとともに当時の実家を象徴する逸品だとワタクシ考えておりまする。

とはいえ、元来繊細な作りで壊れ易いものですし、なにしろ10年以上も動かしてませんでしたから、もうダメかな?とも思い…というのも、「これを修理できるのは成城に住む時計屋の老職人さんだけ」と亡き母から聞いておりましたので。

でも、試しに時計を水平にして振り子を揺らしてみると、『ぴっぽ、ぴっぽ』と、時報代わりにちゃんと鳴くではありませんか。

とりあえず、大丈夫みたい…?。


À bientôt!

ワタクシ事ですが、ぽっぽちゃんに再会しまして…

↓まずは古い写真をご覧ください。
赤ちゃんのワタシ2
生後6か月の赤ちゃん(つまりワタシ)。傍らに、ぬいぐるみが写っております。


↓もう1枚。ぬいぐるみとワタシ。
赤ちゃんのワタシ1
このぬいぐるみ、ぽっぽちゃんと名づけて可愛がっていた、かつての友であります。


今回、引っ越しの荷造りを進めていく過程で、今まで手をつけてこなかった母の遺品の整理をはじめたワタクシ、押入れの奥に積まれた段ボール箱をこじ開けた瞬間、ホコリ舞い飛ぶうす煙の中で、ぽっぽちゃんと奇跡の再会を果たしたのです。


じゃじゃじゃじゃん。
ぽっぽちゃん1


初めて出会い、なかよしになった日から苦節46年(笑)。

白くてふわふわだった体は、黄ばんでごわごわになっていました。衣服(ちょっき)は元は赤色だったと記憶していますが、4つくらいの頃かな、傷んでしまったため母が黄色い毛糸で編んでくれたものです。そして、アラかわいそうに、お目めが一つしか…。
ぽっぽちゃん、もしかしたら押し入れの下の方で他の荷物に押しつぶされながら、じっと、ひとりぼっちで待っていたのかもしれません、この瞬間が訪れるのを。

まさか母が残していたとは思いもしなかったので、突然の嬉しい再会に心が躍りました。
そして、なかよしだった友との思い出を顧みつつ…フト、ぼんやり思ったのです。


ワタクシ7歳と4か月で『お兄ちゃん』と呼ばれる立場になったのですが、見方変えれば、それまでは『一人っ子』みたいなものでした。それゆえ、手持ち無沙汰な時や話し相手がほしいとき、幼いワタシは、よくぽっぽちゃんに話しかけたりした事でしょう。
かすかに覚えていることですが、病気で床に臥せっていた時、掛け布団を野原に見立てて、ぽっぽちゃんと二人で野原を散歩する様子を夢想したりもしましたっけ。

10数年前でしょうか、ある高貴な身分のお方がワタシにこんなことをおっしゃいました。
「あなたはひとの心を理解する力がおありですね」
…言葉そのままではないとしても、おおむねそのようなことを…。
その時ワタシはドキッとしながらも(あぁ~そういえば…)と思ったものです。

あの人はどう思いどう感じるだろうとか、あの人たちの心の叫びが聞こえた気がするとか、
ある瞬間に、自分はどう行動し何を発言すべきかと客観的に己を俯瞰したりとか、
今この人は幸せだろうか、何か困ってはいないか、何かを求めているのではないかとか。
日頃そういったことを、無意識のうちに思ったり考えたり見たりしがちなワタシ…。
もしかしたら『一人っ子』としての感じ方と『お兄ちゃん』としての感じ方、両方感じられるからなのかもしれません。

それと、絵や映像に関連するお仕事を長年営んでこれたのも、ワタシの場合は『一人っ子』みたいに育った事が関係しているのかも、なんて(絵を描いたりシーンを創造したりって、一人孤独な作業ですからネ)。

あ。心理学的にホントーにそうなのかはわかりませんけれども、念のために。
それに、エラそうなことを言いたいわけでは決してありません。
ワガママでミガッテな『一人っ子』みたいな面も(ゴメンナサイ!)多々ございまするし。

むしろそんなことよりも、父と母にいろんなことを教わり、またのちに生まれた弟とともにいろんな体験をさせてもらったことがワタシの全ての基盤になっている、ということの方が重要ですけれどもネ。



過去の引越し回数は片手の指じゃ数えきれません。それでもたくさんのモノたちを残しておいてくれた母の遺品からは、ほかにも思い出の品々…ワタシが見た記憶のない貴重な写真、絵や試験の答案用紙、学童時代の成績表(どひゃ!)、またあまり歓迎したくない案件なども含め、懐かしいいろいろなモノを発掘しました。
↓こんなのとか。
サウンドオブ1
いずれモノによってはBlogにUPしたいと思っていますが、読んでくださる皆さんにとってもオモシロイかどうかはわかりません!。


とまぁそんなわけで間もなく引っ越しも完了。
温故知新的に進化した(?)新たな自分となって、明日に向かって出発しまする。

TB2号に乗るワタシ
それじゃ、いってきまーす。ばっははーい。


それにしてもちかれたなー。あぁ、ちかれたびー。体中があいたたた~。
プロフィール

喜多村 武

Author:喜多村 武
 映像Director、絵本作り、
 イラスト作画、アニメ制作、
 鉄道模型の設計などしている
 ”アトリエざんまい” な日々。
 最近は大学にて講義をさせて
 いただいたりも…。

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